あんでぃの語学部屋

フランス語・ラテン語を中心に語学の話を色々と。

ラテン語で「方丈記」を読んでみた

こんにちは。久しぶりの投稿になります。あんでぃです。

今回はフランス語ではなく、ラテン語の話です。

 

さて、突然ですが、「ゆく川の流れは絶えずして…」といえば?

 

そう、方丈記ですね。

 

鴨長明による随筆で、先に引用した冒頭部分はあまりにも有名でしょう。全文を読んだことがなくとも最初の一文だけは知っている、という方も多いのではないでしょうか。

 

優れた国文学の代表例なだけあって、この作品は英語やフランス語などいくつかの言語に翻訳されているのですが、驚くべきことにラテン語が存在します。

 

http://www.pitaka.ch/eremitorium.pdf

 

日本の古典を西洋の古典に翻訳する、というまことにおしゃれな試みではありますが、果たしてどれほどの需要があるのやら…

 

ということで今日は、ラテン語の復習を兼ねて品詞分解をしながらこの翻訳の最初の2段落を読んでいこうと思います。間違い等がありましたらコメント欄にてご指摘いただけると幸いです。

 

(注)[]は名詞修飾、<>は副詞的な修飾要素、->は修飾先

(原文)Defluentes amnes cursu non cessant, quorum aqua vero pristina non exstat. In stagnante quae fluctuat spuma modo solvitur, modo creatur, nec diu remanet umquam. Hujus mundi homines habitationesque non aliter esse constat.

 

(構造)[Defluentes(->amnes)] amnes(S) <cursu> non cessant(V), quorum(=amnes-GEN) aqua(S) <vero> [pristina(->aqua)] non exstat(V). <In stagnante [quae fluctuat(->stagnante)]> spuma(S) <modo> solvitur(V), <modo> creatur(V), nec <diu> remanet(V) <umquam>. [Hujus mundi(->homines habitationesque] homines(ACC) habitationes(ACC)-que non aliter(C) esse(inf-S) constat(V).

 

(直訳)Rivers flowing at full speed do not stop, whose truly pristine water do not exist. In a lake which waves, a foam is sometimes dissolved, sometimes created, and does not remain for a long time at any time. It is certain that human beings and dwellings of this world are just the same.

 

(日本語訳:青空文庫行く川のながれは絶えずして、しかも本の水にあらず。よどみに浮ぶうたかたは、かつ消えかつ結びて久しくとゞまることなし。世の中にある人とすみかと、またかくの如し。

 

直訳は単語レベルでラテン語を英語に置換し、最低限語順を整えたものです(日本語でないのは、日本語で同じことをやるともはや「直訳」と呼べるものではないほどに色々と変わってしまうからです)。

 

一文目、日本語では「行く川の流れ」なので、「川」の方を属格にしてcursus defluentium amniumとでもなりそうなものですが、cursusの方が奪格になっています。副詞的に「速く」ととって「流れる」の現在分詞にかけるか「流れにおいて止まることはない」のように考えるかは少し悩みましたが、ちょっと後者は冗長な気もしたので前者を採用しました。

 

二文目はstagnanteがいきなり難しい。stagnoの現在分詞中性単数奪格で名詞的な用法だろうと考え、stagnoには"to form a pool of standing water"(Lewis & Short)との意味があるそうなので思い切って単純に「lake」としてしまいました。modo...modo...「ある時は…またある時は…」はよく見る語法ですね。

 

最終文は非人称のconstat「〜は確かだ」が対格+不定法をとっている形。non aliterは最初どっちも変わらない、みたいなニュアンスかなあと思っていましたが、和訳を考えるとその前の「川や泡」と同じ、と解するべきでしょうか。断言するような口調がconstatという語彙の形をとって現れているのが興味深いです。

 

(原文)In urbe gemmea nobilium viliumque aedes quae fastigia expandunt, tegularumque verniciatarum splendore certant, per saecula numquam perire videntur ; quod si vere sic se habeat inquiritur, antiquitus exstitisse domos raras esse patet.

 

(構造)<In urbe [gemmea(->urbe)]> [nobilium viliumque(->aedes)] aedes(S) [quae(=aedes) fastigia(O') expandunt(V'), [tegularumque verniciatarum(->splendore)] <splendore> certant(V')(->aedes)], <per saecula> <numquam> perire(inf) videntur(V) ; quod (si <vere> <sic> se(O') habeat(V'))(S) inquiritur(V), (<antiquitus> exstitisse(inf) domos(ACC))(ACC) raras(C) esse(inf) patet(V).

 

(直訳)In the city of precious stones, houses of the noble and the poor which spread out the gables, and fight on the magnificence of (verniciata?) the tiled roofs, are, forever, never seen to be perished; but if we examine whether it really has itself in this way, it is clear that it is rare for houses to have existed from ancient times.

 

(日本語訳)玉しきの都の中にむねをならべいらかをあらそへる、たかきいやしき人のすまひは、代々を經て(経て)盡き(尽き)せぬものなれど、これをまことかと尋ぬれば、昔ありし家はまれなり。

 

二段落目はラテン語的にも、そして文化の違いの観点からも面白い文章です。

 

まずラテン語と日本語を比べてみると、「玉しきの」「むねをならべ」といった日本語特有の表現が、それぞれgemmeus「宝石のような」、fastigium「破風」・expando「広げる」といった語彙を用いて巧みに表現されていることがわかります。fastigiumには「頂点」の意味もあるので、「破風」というより原文通りの「棟」を表現したかったのかもしれませんが、多分建築の文脈でこの単語を使うとまず「破風」(gable)が先に来るんじゃないかと…

 

続く「いらかをあらそへる」の訳はなかなかに興味深いですね。原文では家が立ち並ぶ様子を比喩的に表現しているのだと思いますが、訳者はこの「あらそう」という動詞を生かしつつ、「瓦屋根の豪華さ(splendor)で競う」とより直接的に「争い」の内容に言及しています。この辺はどこまでを言葉で表現するか、という言語文化の差なのでしょうが、これによって伝わってくるニュアンスも結構変わってきますよね。

 

なお、途中のverniciatarumですが、これについては謎です。形としては「verniciata」みたいな単語の複数属格に見えるのですが、辞書を引いても元の単語に該当しそうなものは見当たらず、またググってもこの単語の用例はどうやらこの方丈記ラテン語訳のみなようで、一向に手掛かりが掴めませんでした。そもそもラテン語のtegulaeが「瓦屋根」で、日本語の「いらか」と完全とまではいきませんがマッチしている単語のはずなので、なぜもう一つ修飾句が挿入されているのかがまず…

この辺り、ご存知の方がいらっしゃいましたらご教授いただけますと幸いです。

 

最終文は結構解釈に苦労しました。

まず不思議だったのはこのsi(だいたいifに該当)です。普通quod siと並ぶ場合、siはbut if...のように仮定の節を導きます。ところが、inquiro「調査する」のような動詞とともに使われると、siはこれまた英語のifと同様に「〜かどうか」という名詞節を導くのです。ここではこの両方の働きが可能であり、実際にhabeatという動詞の存在や後ろの文とのつながりを考えると、「もし…かどうか調べられると」のようにsiが同時に両方の役割を果たしていると考えるのが自然でしょう。ただ、いくら解釈上自然だからといって一つのsiが両方の働きを同時にできるのか…?

 

その次の主文もそれなりに混み入っていますが、こちらは先ほども出てきた対格+不定詞のオンパレード。主動詞は非人称のpatetで「〜は明らかだ」、そしてその内容を表す不定詞節の構造はantiquitus〜domosが対格+不定法で主語「家が昔から存在していたこと」、動詞がesse、補語がraras「珍しい」、となっている、とすれば「家が昔から存在していたことなど滅多にないことは明らかである」となり、原文の「昔ありし家はまれなり」とそれなりに整合性の取れた訳になります。

一つ気になる点があるとすれば、形容詞rarusがrarasと女性複数の形になっている、つまりdomos「家」と対応する形になっていること。ラテン語不定詞の一致に関しては正直よくわかっていないのですが、普通に考えたら中性になりそうな気もします。対格+不定法の場合はその対格の名詞に一致させる、とかあるんでしょうか。

 

 

ということで今日はこの辺りにしておきます。

突飛な教材ではありましたが、訳の工夫も垣間見えたりして面白かったですね。気が向いたら続きもやろうと思います。では。